ねぶた
青森の夏といえばねぶたです。巨大な光る山車が町を練り歩きます。 ねぶたの山車はただ練り歩くだけではなく、前後に傾いたり道路脇の人垣に向かってきたりと迫力満点です。
山車の後ろにはお囃子隊が続きます。笛や太鼓の音に合わせて♪ラッセラー、ラッセラーと飛び跳ねる跳人(はねと)もいます。 跳人は浴衣の下にピンクの襦袢をつけて裾から見せつつ、赤やピンク、黄色などのたすきなどを巻いて、鈴などの鳴り物を腰から下げています。 そして花をあしらった編み笠をつけたりします。 跳人が舞うたびに様々な音が鳴り響きます。 更に手平鉦(てびらがね)と呼ばれる掌ほどの鐘を鳴らします。 勇壮な山車に跳ねまわる人、お囃子が一体となって夜の町を興奮に導きます。
もちろん観光客も跳人の衣装を借りてねぶたに参加することもできます。衣装だけをレンタルして見物するのもokです。沿道には飲み物や食べ物を売る屋台がたくさんあります。
「じゃわめぐ」心が浮き立って楽しみでしょうがない様。ねぶたが始まる頃の心模様を指した津軽弁です。 それほど待ち遠しい祭り。それがねぶたです。祭りは山車を作るところから始まっています。
ねぶたの山車は昭和30年ほどまでは骨組みに竹ひごが使われていました。大きな顔や体は竹ひごでも組むことができますが、指一本一本のように複雑な立体は組めませんでした。 そこで竹ひごに替えて針金が用いられるようになります。 針金ならば複雑な立体も組むことができます。
更に以前は明るく照らすために電球が使われていましたが、明るいLEDが用いられるようになると鮮やかさが増しました。
ねぶたを造るねぶた師は図案作成から骨組み、更に絵を色づけするなど一年近くをかけています。 女性のねぶた師の活躍も見逃せません。去年の最高賞は北村麻子さんでした。
ねぷた
青森市で行われるねぶただけではありません。弘前をはじめ津軽地方では広く“ねぷた”(Neputa)が行われています。 その中でも最も山車の数が多いのは弘前ねぷたです。
弘前ねぷたは江戸時代から行われてきた伝統行事です。 大きな特徴は扇形の山車です。 山車は大きなものでは5~7mにもなります。 この扇の部分は上下して更に回転します。 大きな山車には人も乗って声をかけ祭りを盛り上げます。
青森ねぶたと同じようにお囃子隊が続きます。掛け声は♪ヤーヤドーです。 大きな山車から子供たちが引くかわいいものまで様々です。 青森ねぶたが企業などのスポンサーが付いているものが多いのに比較して、弘前ねぷたは市内の地区や有志で製作しているものが多いのも特長です。 もちろん青森ねぶたのような人形ねぷた(組ねぷた)もあります。
祭り期間の前に高校生や幼稚園児による昼間のねぷた運行も行われています。
立ちねぷた
次に紹介するのは、超絶の高さを誇る五所川原の立ちねぷた(立佞武多)です。 なんと高さ23m!ビル8Fに相当します。
みてください!この大きさ。下の方に人影が写っているの分かりますか? ちょっと信じられないほどの高さです。 こんなでっかい山車を人が動かしているんですから驚きです。
掛け声は♪ヤッテマレ、ヤッテマレです。
青森の夏祭りは毎年日程は決まっていて、概ね8月1日~7日の間に行われます。 ねぷた祭りの起源は諸説ありますが七夕祭りの“眠り流し”が訛ったものと言われています。 眠いを津軽弁では“ねぷてぇ”、“ねぶてぇ”といいます。
青森県は江戸時代、日本海側の津軽と、太平洋側の南部に分かれていました。ねぷたは津軽地方の祭りです。 南部地方の中心だった八戸で行われているのは三社大祭です。 三社大祭も大きな山車が特長でからくりのように動きます。
八戸三社大祭はユネスコの世界遺産に指定されています。
北前船は江戸時代に使われた日本最大の物流網です。大阪~瀬戸内海~日本海~北海道を結び様々な産品や文化を運んでいました。
青森県には北前船の寄港地があったため、京都の祇園祭の文化が伝わっと考えられる祭りも各地にあります。 鰺ヶ沢の白八幡宮大祭や、むつ市大畑八幡宮例大祭、田名部まつりは山車も行列も祇園祭を感じられます。 野辺地の祇園祭は名前もそのものずばりです。 白八幡宮大祭は4年に一度、次は2021年です。
一つだけでは足りない。全部観てみたい!
青森の夏はねぶたなどの祭りで最高潮を迎え、お盆の行事が終わるころには早くも秋が訪れます。